鎮座地 |
〒014-0048 大仙市大曲上大町12ー20 |
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宮司 | 高橋徳久 |
電話 | 0187-62-2016 |
FAX | 0187-62-7378 |
御祭紳 |
健御名方大神(たけみなかたのおおかみ) 八坂刀売大神(やさかとめのおおかみ) 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) |
行事 |
例祭・・・・・宵宮:9月13日 例祭:9月14日 綱引き・・・・2月第3土曜日 梵天祭・・・・2月26日 |
諏訪神社縁起 |
本社の創建は、桓武天皇延暦20年(801)なりと云う。 是より先、桓武天皇は大伴家持・紀古佐美等をして蝦夷を討伐し、次いで坂上田村麻呂を征夷大将軍として征討す。 田村麻呂この国に下向し、当大曲に於いて真昼山も賊徒を討つ。 この時の陣所は古舘という地なり。 将軍凱旋の際、古館に神殿を造営して健(たけ)御名方(みなかた)大神(おおかみ)を祀る。 是即ち当諏訪神社なり。 後柏原天皇文亀元年(1501)に前田又左衛門道信という者古舘に居住し、この神社に修繕を加え八坂刀賣(やさかとめ)大神(おおかみ)を合祀せられた。 道信の二男薩摩守利信は当社を深く崇拝し、数々の戦功をあげ、偏に諏訪大神の御加護なりと信心限りなし。 次いで、利信の弟又四郎修験となり社務を掌る。 霊元天皇貞享2年(1685)に佐竹(さたけ)義処(よしずみ)公この地に御本陣を定めるや現地に遷座す。 東山天皇元禄元年(1688)火災により古記録悉く焼失せり。 中御門天皇享保11年(1726)炎上し社記焼失。 同12年太田町横沢より本殿を譲り受け建立。 その故事によって享保14年綱引き行事が行われるようになった。 仁孝天皇天保14年(1843)佐竹氏より藩主崇敬の神社に列し、祭典には必ず家老を遣わし代拝せしめ、染筆懸額及び燈籠等の寄進あり。 明治6年郷社に列す。 昭和6年、古町神明社天照皇大神を合祀す。 昭和41年1月6日放火により社殿焼失したるも、同年8月再建奉賛会が結成され、3年間に渡り氏子崇敬者より浄財を募り、昭和44年8月23日遷座す。 本県はじめての耐火耐震の鉄筋コンクリート構造で、屋根は木造銅板葺き。 設計は日本建築工芸株式会社、高吉建設株式会社が請負施工した。 平成23年4月、社殿の老朽化が進んでコンクリートの外壁にひび割れが多く見受けられ、また屋根銅版の劣化、さらにこの年の豪雪により本殿の千木・鰹木、拝殿屋根銅版の著しい破損があったため、諏訪神社奉賛会事業実行委員会が結成され多数の氏子崇敬者よりご奉賛を仰ぎ約2千万円をかけて改修工事が行われ9月11日遷座す。 |